この笑顔でいつまできみをはぐらかせるのでしょうか

都に戻った私が目にしたものは、揃って説教を食らう二人の将の姿だった。


山越討伐を終えて都に帰還し、そのまま殿への報告に向かった。かの赤壁で魏の大軍を相手に勝利を納めたことは活気に繋がったらしい。道行く人々や兵たちもどことなく明るく見えた。先の戦はこの国にとってよい結果をもたらしたのだと実感する。
それならばきっと、今が好機だ。士気が高まっている今ならば、劉備のもとにある荊州を得るために動くことができる。兵を差し向けることも。私も、西に攻め込むこの機のために、南方の脅威を取り除いてきたのだ。それと同時に、赤壁の戦の報告を受け、荊州攻めの案を立ててきた。呂蒙殿にその旨を伝え、話し合うならば場所を移すかと廊下に出た、そのときだった。
足を止める。と、目の前をなにかが横切った。ほぼ同時に、砕け散る音。
大きく息を吐き出す呂蒙殿の隣で、私はとっさに動けなかった。
大きな戦を終えて、都はひとときの平和を得たと思っていた。その前提を改めなければならないのかと、そんなことが一瞬よぎった。

並んで床に座った(というより座らされた)二人を前に、呂蒙殿が顔をしかめている。二人のうち片方は、髪を高く結った見慣れた姿だ。こちらもしかめ面をしている。
「……お前らは、どうしてこう、何度も何度も」
ため息まじりの呂蒙殿の語り口からすると、今に始まった話ではないらしい。二人はまた、そろって互いを指差す。
「こいつが突っかかってくるんだ。俺のせいじゃねえ」
「こいつが俺の目の前にいるのが悪いんです」
「そう言ってもう何度目だ? いい加減にしろ。お前たちのせいで城内まで戦場になりそうだ」
説教は早々に切り上げられ、盛大なゲンコツを食らった二人は頭をさすりながら、それぞれ背を向けて歩いて行った。

「呂蒙殿、もしかして」
「ああ。あれが甘寧だ。……赤壁での活躍はお前の耳にも届いただろう」
報告は届いている。何度も目で追った名前だ、勇猛な様も、戦果をあげたことも知っている。だからこそ信じられない。たった今、目の前で説教されてむくれていたあの男が、あの鈴の甘寧だなどと。
「あいつはよくやっている。驚くほど早く、この国になじんでしまってな。兵を預ければいつの間にかあいつを中心に団結している。肝のすわった男で、あの周瑜殿に意見することもある。俺はあいつを見込んでいるよ。……だがな」
言いよどむ、その言葉の先を継いだ。
「凌統殿は」
「凌統は、認められんのだろう。それは仕方のない話だ。奴が、甘寧が、凌操将軍を討った、その事実は変えられんからな。……ただ、目を合わせる度に、いや見かける度に刃傷沙汰を起こすのでは、な」
あれでもマシになった方なんだ、そうこぼして、その話は終いになった。

ただのケンカで済んでいるのなら、まだいい。いくつか予期していた中の最悪の状況におちいってはいなかった、そのことにひどく安心した。凌統殿はまだ若いが、軍を率いる中で着実にその才を身につけている。孫呉の将として。また、甘寧将軍も、赤壁での勇姿を聞く限り、有能な将だ。仲違いから二人の将を失う、それはこの国にとって大きな損失だろう。
ただし、話を聞く限り、彼らの仲違いは今に始まった話ではなく、そしておそらくはそう簡単に決着するものでもない。あきらめられるものでは、ないだろう。彼は、優しいから。
(私はやはり、忘れてしまったのか)
憎しみはもう、なくなってしまった。今更どうしようとも思わない。自らに遺されたものがなかったことも、理由かもしれない。彼とは違って、自分は、その場にはいなかった。彼はその場にいたのだ。彼の父が命を落とした、その戦場に。
しかめ面の彼が歩いて行った先を見る。いつかのように膝を抱えた姿でないといい。そう思って、しかしなにも言わなかった彼に近寄ることができず、踵を返した。


「陸遜、おかえり」
翌日、彼に会った。昨日の剣幕が嘘のように、いつか見たときと同じ姿をしている。
「凌統殿もご無事でなによりです。赤壁での戦果、聞きましたよ」
「そりゃあ、俺が帰らないわけにはいかないと思ったからね。……あんなこと、言ったからさ」
小声でそう付け足して、情けなかったよな、と更に続ける。なんのことでしょう、と笑って返して、そろってちょっと笑った。互いに約束を守ることができた。それが凌統殿の安心につながったのなら、よかった。そうして少しずつ、彼の傷がふさがればいい。
なんでもないような会話を続けて、ただ一つ、不自然にただ一つの話題を避けている。いつかの膝を抱えた彼の姿、しがみつくことのできない腕を思い出してしまって、どうしても、傷をえぐるようなことはできなかった。

親の仇その人とのことを、彼自身に聞く。それだけは、どうしても、私にはできない。
だから、その傷口に触れないように、ずっと曖昧な笑顔を浮かべている。