今だけは背中を見ててあげるけど、いつかは

「すみません、お手をわずらわせました」

「助かりました。ありがとうございます!」

「救援、感謝します」

ここのところ、戦のたびに、俺は救援に向かっている。
向こう見ずで単騎突っ込んで行く、友人の下へ。

「なあ、あんた、どうしていつもこんな」
言葉が続かなくて語尾を濁した。こうやってなにかを伝えようとするのは得意じゃない。俺が知っている言葉は、号令だとか鼓舞だとかせいぜいそんなものばかりで、こんなときに選ぶ言葉なんて持っていないのだ。相手の方が自分より、言葉も表現もなにもかも知っているだろうと思うから、余計に。
相手の方が淀みなく言葉を返して来るから、なおさら。
「いつもご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありません。私の不手際です」
こんな言葉のやり取りも迷わずに切り返してくる相手は、こちらを振り向くことすらしない。
ああ、こんな、友人に向かって、まさか腹立たしいなんて!
「だからさ、それだよ。……本当にあんたの不手際だけで、こんな状況になるのか?」

戦場だった場所の、ど真ん中だ。
見回す限り、ひどい有様だった。
戦場なんてものはたいていひどい有様だが、それにしたってこれは異常だ。ただ見た目がひどいだけでは済まない。
動けるものは既に立ち去った。あとは動かないものが倒れているばかりだ。
動かないものたちは皆どこかしらに、緑色の装飾をつけている。

繰り返すが、戦場なんてものはたいていひどい有様だ。俺もそれを当然と思ってしまう程度には、戦に出てきた。幼い頃の、戦に出ることも、見送ることも怖かったあの頃を通り過ぎて、もう慣れてしまった。
だとしても、この友人を助ける度に目にする光景は、未だ見慣れない。見慣れてよいものではない、慣れてしまってはいけないと思うほどだ。
いつ見てもおかしいのだ。
そこかしこに散らばる欠けた剣も、崩れた装飾も、倒れたものも。孫呉の、俺たちの掲げる赤をまとうものは、見渡す限りただひとりしかいない。
この友人の立つ戦場には、まるで味方の気配がない。
俺が救援に走るまで。

「なあ、あんた。……ああもう、どっから言うべきなのかわかんないけどさ。おかしいって、思わないのか」
「なにがです?」
「……なんでいつも一人で、こんなところにいるんだい」
ようやく選んだ言葉は、ただまっすぐにぶつけるだけの、なんのひねりもない言葉だった。
こんなこと。言わなくてもいいのだ、こんなことは。頭の中で冷静な自分がつぶやいている。
友人は初めてこちらを向いた。なんでもない、いつも通りの表情を作ろうとして、しかしなにもない表情で淡々と告げる。
「誘い込んで迎え撃つ策のようでした。ならば逆に、飛び込んで撹乱に努めようと思いました。撹乱に大勢は要りません、少数で勢いをくじき、離脱するのが――」
「あんたの頭で気づいてないはずがないだろう! それで、なんでひとりなんだって言ってるんだっつの!」

こんな状況であっても冷静さを失わないその姿に、いっそう腹が立った。思わず声に力がこもる。
「少数と一人は違うだろう! いつ来てもあんたは一人だ。今回も、この前も、その前だって! なんでそうなるんだって、なんで誰も連れてこないんだって、俺にわかる理由で説明してくれるかい。なあ、陸遜!」
違うんだ。俺は行方知れずになった仲間を探しに、戦の跡を追ってきたんだ。こんな言葉をぶつけるためにここに来たんじゃない。
……でも。

「……心配した俺が、馬鹿みたいだ」

俺一人だけが騒いで、まるで馬鹿みたいじゃないか。

踵を返した。
これ以上この場にいて、なにか有意義なことが言えるとは思えなかった。足は自然と早まる。一刻も早く立ち去りたかった。この異様な戦場から。
だから俺はそのとき、彼のことを見なかったのだ。
そのことに気がついたのは、本陣にたどり着いてからのことだった。



数日が経った。
俺の隊にもまた出陣命令が出た。そしてまた、彼の隊も出陣する。
下された命の中でも彼の隊に関するものだけを何度も心のうちで繰り返し、そして馬を走らせた。

羽の舞うような装束は、遠目からでもひときわ目立った。
「よっ」
馬を並べて、軽く告げる。俺は陸遜の横へ、俺の隊の者たちは並びを崩さず、その後ろにつく。
突然後ろから追いついた軍団に、さすがの彼も驚いたようだった。
「凌統殿? なぜここへ」
「あんた、また一人で突っ込もうとしてるだろ」
冷静に、冷静に。今度は言葉を間違えないように。明け方、出陣前から何度も心で唱えた言葉を、また繰り返す。
冷静な自分を保ったままで、策を実行するのだ。
「進軍先を変えてもらったよ。あんたを真っ先に助けに行けるように」
少しでも彼の助けになるように。
「俺と、俺の隊が近くにいる。あんたは好き勝手すればいい。俺も好きにやらせてもらうさ。あんたがひどく無茶するようなら、俺の隊が勝手に助けに行く」
俺だけが勝手にしゃべっている形だが、この際そんなものは構わない。俺がなんと言おうとも、彼は勝手にやるだろう。だから俺も、俺の勝手にするだけだ。
「連れてきたのは俺の隊、昔っからの俺の部下だ。だから俺の命令は聞く。今回は数も連れてきちゃいないから、小回りも効く。だからなんかあったら、真っ先に言いなよ?」
この戦。
あんたに、俺と、俺の部下の命を預けてやるよ、陸遜。

実のところ、彼が一人で敵陣に突っ込むような無茶をするのは、誰も彼についていかないからだ。
彼はまだ年若いが、その才を開花させようとしている。出会った当初から感じていたその聡明さは、呂蒙殿という師の下で年を経るごとに研ぎ澄まされ、武の面においても一撃の軽さを補う形で技術に磨きがかかった。
机上でも戦場でもまるでくるくると舞うように、知識をひらめかせ、剣を振るう男。
やっかまれているのだ。その若さを、そして未だ秘めている才を。
そのやっかみを彼自身がまるで相手にしないから、逆に相手からも見放されている。そう、俺は見ていた。
実際俺も、第一印象はいけ好かない奴だと思った。知識も武力も関係なく、みるみる吸収していく姿を、今とは違う立場で見ていたら、きっと反発していただろう。割り切れるものではないのだ。彼よりも年を重ねてきたのに、勝てないどころか、ある日突然追い抜かされてそのまま追いつけないだなんて。
だけど、今の俺の立場は俺のものだ。俺の情けなく弱い部分を見られて、彼の弱い部分も垣間見た。彼がただ生意気を言っているだけではないと知っている。彼が積み重ねたものも知っている。友人と呼べるだけの立場になれていると思っているんだ。
だから俺は、あんたについていくよ。

しばらく、返答がなかった。
内心で焦り始めた頃、ようやく、隣の空気が少し動いた。
「負けました、私の負けです、凌統殿!」
馬の腹を蹴って、蹄の音に負けじと叫ぶ、晴れやかな姿だった。
「では、このままついてきてください。一気に落とします」
「ああ、了解」
「遅れないでくださいね!」
「誰に言ってんだっつの!」
軽口をたたいて馬を駆る姿。
ああ、やっぱりあんたは、笑ってる方がいいよ。
攻め入る前の不敵な笑みですら、様になる男だ。

彼に口で勝てる日は来ないかもしれないけれど、これで彼が信じてくれたらいい。
彼の危機にはいつだって、俺は駆けつけるということを。