お茶のお誘い

いつも通り、廊下で甘寧と嫌味を言い合っていたときだった。
「凌統殿、すみませんが少し来ていただいてもいいですか?」
曲がり角の向こうから陸遜が顔を出した。書簡を抱えててくてくと寄ってくる。
「軍師殿? なにか用ですか?」
「ええ。それと甘寧殿、呂蒙殿が探しておいででしたよ」
「おう、わかった。ちょっくら行ってくるか」
「また仕事サボって溜め込んでんのかい? さっさと行きなよ」
「テメエはいちいちうるせえ奴だな!」
去りゆく背中に捨て台詞を投げた。陸遜はもう、止めもしない。
以前よりも、険悪な空気ではなくなったはずだ。顔を合わせる度に、嫌味と皮肉の応酬は続いているけれど。

「んで、軍師殿、用ってなんです?」
またてくてく歩きだした陸遜の、後ろについて歩く。この方向だときっと執務室に向かうのだろう。
先も言った通り、俺はもうだいぶ、甘寧と打ち解けている、と思う。不本意ではあるが、咎められたり小言を食らうようなことはしていないはずだ。陸遜の言う用事に、思い当たる節がまるでない。
「それがですね、凌統殿にしかお願いできないことなんですが」
「はあ」
俺がなにかやらかしたんじゃなくて、俺になにか頼みたいのか。ちょっとこちらを振り返ってにこっとしてみせる。
「ちょうどいい時間ですし、お茶にでもしませんか?」
「……はあ?」
……我ながら、気の抜けた返事だった。思わず、足も止まった。
「先日いただいたお茶がおいしかったので、ぜひご一緒したいと思っていまして」
「……」
歩みを止めた俺に、陸遜も歩くのをやめて、体ごとこちらを振り向く。俺は返す言葉が見つからない。
「どうしました?」
「用ってそれだけ?」
「そうです」
「……軍師殿」
「はい」
的確に返事をしてくる辺り、なんとなく思いついたことではなく、本当にそう考えていたんだろう。考えていたんだろうけど。
「あんた、頭使うところ、間違ってない?」
才能の無駄遣いだ。
つまりこの軍師殿は、廊下でのいざこざを強制的に終わらせて、かつ俺をお茶に誘うために、甘寧を呂蒙殿のところへやったのだろう。しかもこれはおそらく、お茶の誘いの方が重要度が高い。呂蒙殿もきっと、あいつに大した用なんかないに違いない。有能な軍師の才は、一介の武将を茶に誘うために使われるものではないだろうに。
「間違っていませんよ?」
……だから、そんな、なにを言っているのかわからない、みたいな顔をしないで欲しかった。
「はあ、そうですか」
また気の抜けた返事をする俺に、陸遜はちょこちょこと歩み寄る。
「私だって凌統殿と一緒にお話ししたいんですから、甘寧殿ばかりじゃなくて私も構ってください」
いつになくにこにことしながら、ついにはそんなことを言い出した。
「なんであんたはそれを真顔で言うかねえ……」
めずらしく嬉しそうな気配を隠さない年下の友人に、俺はもう、あきれ返るのもばかばかしくなった。近くにある手をすくってやる。これくらいの反撃はさせて欲しい。年上の意地にかけて、いつまでも振り回されているわけにはいかないのだ。
「り、凌統殿?」
「軍師殿のお願いは断れないね。さ、行こうか」
先程から惜しみなく向けられている笑顔に負けないように、こっちからも返してやる。
「はい! 行きましょう!」
すぐそこの部屋までの距離を、そのまま手を引いて歩いた。